― 創業時の経緯を教えてください。
平岡:大学を中退して3年、その後海外に1年住み、帰国してまた3年働いた後で起業しました。助けてくれる人が沢山現れて応援してもらいました。最初は個人的に出来る範囲で広告宣伝の仕事をやりました。
その後は英語が話せたので翻訳と通訳の仕事をやるようになり、前職で新規のプロジェクトを立ち上げる役割が多くもともと理系だったという事もあって、日本と海外の企業の技術提携を支援したり海外の企業の日本市場の参入を手伝うようになりました。決して楽な仕事ではなかったですが、ちゃんと汗をかいて頑張れば報酬は頂けるし、それを通して確実に自分は成長出来る。そんな環境は有り難かったです。
起業直後は売上が下がるのが怖くて夜もほとんど寝ず、疲れたら仮眠してまた目が覚めたら働く。やればやるほど努力が報われるので多分週に120時間は働いていたと思います。2、3年経つと段々と紹介が増えてきて事業も成長し、それに伴って自分の知識や能力もどんどん伸びていく。頑張ったら結果が出るのでどんどん仕事にのめり込んで行きました。
カムイは最初は沢山あった新規プロジェクトの1つでした。当初このプロジェクトは依頼者がいて、私は海外への販売支援を担当してました。製造は協力工場に外注。海外の代理店を見つけて取引が始まっても製品の品質が安定していないのでクレームが多く、リコールが何回も起こるのでそのうち品質管理を支援するようになりました。
その後国内の販売も支援するようになりました。当時は経営が上手く行っておらず事業として継続が難しかったので、その後依頼者から事業譲渡を受けて自分でやるようになりました。
一旦は品質が安定して事業が持ち直し取扱代理店が増えた頃、外注先から品質を保つ事が難しいので品質基準を下げてくれなければ供給を停止すると言われて呆然としました。倒産の危機でした。事業の撤退も検討しましたが、独占権を取得して既にプロモーション活動に大きな投資をしていた取引先が数社あり無責任な事は出来ませんでした。
期待して投資してくれている以上、それを上回る必要があります。事業を切り離して新しく立ち上げて会社で銀行に融資を受けて自社工場を立ち上げる事にしました。
― 創業時の想いを教えてください。
平岡:他の会社の事業支援を行っていた頃の事業領域はあくまでもサポートです。依頼された範囲の中だけの成果なので本当に最後まで上手く行っているかは確認する必要がありませんでした。「頑張ったら報われる」と考える範囲も狭く、仕事が属人的なので教える事が難しく独りです。たとえ売上が上がって利益が出ても自分の我儘な結果だけを残す事になるだろうと感じていました。
また自分の置かれた環境を考えると、応援してくれる人は何の見返りも期待せずに成長を見守ってくれているし、その人達は困っていないので恩返しも出来そうにありませんでした。自分は受け取ったチャンスを消費してビジネスをしているだけで、応援者のようにチャンスを他の人に渡せるようにいつかなりたいとも考えていました。
自分と同じように、人はみんなチャンスが欲しいし、学ぶ事で成長し、幸せになりたいはずです。
自社工場を立ち上げて軌道に乗れば品質が安定し、世界中のビリヤードプレイヤーが喜んできっと売上が上がるはずです。そうなると雇用を創れます。雇用を通して人が成長し、幸せになると将来への希望が増えます。その力が世の中を良くしようと正しい方向を向けば社会も良くなります。それに関わる私は幸せになると願い、想いました。
― なぜKAMUIBRANDだったのでしょうか?
社員A:そういったご自身の想いを実現するために、改めてカムイ(KAMUIBRAND)をスタートされたと思うのですが、「なぜカムイだったのか?」という理由などはあるのでしょうか?
平岡:自社工場立ち上げるしかなかったんだからしょうがないでしょ。そんな事を言われても、、(笑)
ビリヤードは大好きでビリヤード場には週に10回くらいは行ってたかな。もともと好きな事を仕事にする事が出来たら、仕事という概念から解放されて自由になれると思って探していたんだろうと思うね。それに加え何かやるのなら更に意義がある事でそれに没頭できる必要がある。それが目の前に現れた。もともと目の前にあったんだろうけど、大きな問題が発生して見え方が変わった。
僕がカムイを探していたんじゃなくて、カムイが誰かを探していて僕を発見したんだと思う。
― 事業を継続していく上で想定外の出来事や気持ちの変化はあったのでしょうか?
社員A:事業を継続する中で想定外の出来事や気持ちの変化などがあれば教えてください。
平岡:頑張って作ったプロダクトをお客さんに買ってもらって、肯定されるというサイクルは最初に考えていたものだったんだけど、やっぱりね、お客様というよりもファンが増えてたっていうのはすごく想定外なことでした。これは創業当時は感覚的に分からなかった。世界中を何周もするうちにカムイのことすごく好きだっていう人にどんどん出会っていくんですよ。
自分はこれをやる為に生まれてきたんじゃないのかっていうくらい、新鮮な驚きと嬉しさが湧き上がってくる。ライフワークと言って良いんじゃないかというくらい。仕事をしているというよりは遊んでいる感覚に近くて。もうね、毎日が夏休み。本当に実現するとは思ってなかった。こう言える様になったことも一つ想定外のこと。
次の変化は組織作りに関して。創業してスタッフにも入ってもらって。でも経営者は最初、人が退社するって言う概念が無いんですよ。経験したことがないから退社することを予想出来ていないんですよ。
退社の理由は、会社の問題もあるし、僕の問題もあると思うけど、自己都合みたいなのもあったりとかして人は辞めていったりとかする。そのときの喪失感みたいなものっていうのはとても大きくて最初はまず混乱する。でもそれが何回も繰り返し起こると、辛い事なんだけど何が起こっているのかだんだんと理解出来るようになってきます。で、ある時、これが自然のことなんだっていうことが受け入れるようになってから初めて経営という概念が生まれるんです。
マネジメントっていうのは、既にある仕組みをどうやって回していくかという運営なんですよ。それに対して経営は示唆するものが全然違っていて矛盾の統合なんです。こっちを立てれば、あっちが立たないっていう。まるで複雑な連立方程式を解こうとするんだけど解が無い。解に近いものはこれだろうなってアタリをつけるんだけど、間違ってるかもしれないという前提を織り込んでいるのであくまでも仮説。だからベストはなくてベターがあるだけ。
それを完全に近づけようとすると歪みが出たりとかするんで、そういうところは受け入れるようになってきました。なので、自分自身の力の及ぶ範囲外のことが起こった時、何とか解決したくても出来ないから妥協するのではなく、まずありのままを受け入れるということが大切なんだと思うようになりました。
もう一つ想定外の事としては、人のことをよく考えれるようになって来ました。社長としての父親の厳しさのようなものは必要なんだけど、根底には母親も自分の中に持っていなければダメです。厳しいことも言うんだけれども、生きているという事は血が通ってるでしょ。みんな心を宿していて、もちろん僕にも心があって。経営はそういうこと、つまり命を扱ってるんだなという、最近はそっちのほうが考えるウェイトが大きいですかね。
物理的には、プロダクトを作って、(スタッフが)進化していくというのはあるんだけど、その心がどうかを見る。厳しさが必要だなって思う人は結構厳しく指摘するし、優しさが大切だと思う人には承認をしたりする。ほんと見るのは心っていう。これは最近、この1年半くらいで分かってきた事かなあ。ここは以前は全く考えたことは無かったですね。こういう見方になるんだってすごい想定外ですね。
― 創業当時、どの位の規模の会社を目指していたのでしょうか?
社員A:始めたときは、どの位の規模になろうというのは考えていましたかとかいうのは考えて無かったですか?例えば国内のビリヤード業界で一番を目指すとか。
平岡:そこはあまり考えて無かったんだけど、はじめて3ヶ月くらいで、この勢い、スピード、努力とかは絶対誰にも勝てないと思った。そこには自信を持っていたし、必ず上手くいくと確信をしていた。英語で言うところのスカイザリミット(限界がない)ってやつですよね。そういう状況で、自分の頑張って作ったものが正当に評価されて、人々を笑顔にする。それが結果となって現れればやってた事は間違っていなかったし、伸びなければそれまでの事っていう、それを委ねるような感じでしたね。
― ENVISIONの黎明期について伺ってきましたが、社員Aくんの入社のきっかけは?
平岡:共通の知人がいて、「エンヴィジョンに合いそうな若い子がいるからとりあえず会ってみませんか?」という話だったんですよ、最初はね。
社員A:そうですね。その当時、アメリカの大学へ留学を希望していて。ただ、アメリカでの生活が始まるまでに1年半ほど時間が空いていました。そこで何かしら、どこかで働くことを経験させてもらいたいと思って、ネットで調べて、たどり着いたのがその方で紹介してもらいました。
平岡:それで実際に社員Aくんに会った時、彼は既にアルバイトが決まっていて。でも話を聞いているうちにバリバリ働ける能力が欲しいっていうのがすごく伝わってきた。とにかく大変だろうが辛かろうが経験を積みたい、能力を伸ばしたいっていう意欲を感じた。自分の昔やってたことと一致してこの子いいなって思って。
そのときに、「もう、うちの会社来たらいいよ」って言うと、「じゃあ(既に決まっていたアルバイトを)辞めます」って即答して(笑)。そのスピード感を見て、あぁ、やっぱりいいなって確信した。
― 社員Aくんは、ENVISIONに入社してどうでしたか?
社員A:入社して半年か1年かよく分からないですけど、「辞めると思ってた」って平岡さんに言われて。そういう風に見えてたんだって思いました。
平岡:毎日泣いてたよね。(笑)
社員A:でも、辞めるとかそんな考えは全く無かったですね。ただ、入社当時は全てが初めての経験で。メールや電話対応から仕事の進め方まで全てを教えてもらいました。タイピングとかもめちゃくちゃ遅かった。
平岡:今速いじゃん。
社員A:朝来てタイピングの練習からはじめたのを覚えてます。(苦笑)
平岡:出来るようになるからね。放り込まれたら、人間。 あの時は結構全力でぶち当たってたね。自分も社員Aくんに高いレベルの話をして、分からなかったら自分で勉強しなさいっていう。ちょっとかわいそうだなとも思いながら。いきなり「新規事業立ち上げなよ」っとか言って。(笑)
社員A:渡された情報が繋がらなくて、しばらくスプレットシートを眺めてました。何したらいいんだろうな、みたいな感じで。(笑)で、分からないながらにも真剣に考えてみるじゃないですか。自分なりに。そうする事で、少しづつ「思考する能力」が芽生え始めたという気はしています。
ただ、こういう業務って、「雑務をいかに効率よくこなすか」みたいなスピード感が求められる仕事とも違っていて。忍耐や時間を要する作業なので、脳の使用部位が違う感覚でした。答えのない事に答えを出す作業といっても良いかもしれませんね。もちろん前者のスキルが上がるのも重要ですが、後者の様な経験を若いうちからさせてもらえたのは、今思えば有り難かったですね。
― 入社当時を振り返って、どう思いますか?
社員A:20代前半とかって体力もあるし、やる気もあるし、そういう事は提供できるんだけど、経験やそれに基づく知識はない。当時は、自分の持っているものは時間とやる気だけ。それを提供する代わりに多くのことを学ばせてもらったと思っています。
ただ、ものすごい迷惑かけたんだろうなって。
平岡:自分の時なんて、上司に「会社くるな」って言われてた。(笑)「質問攻めで仕事にならん」みたいな。若い時なんてそんなもん。みんなミスもするし、迷惑掛けるのが仕事です。
むしろ若い人には、「失敗することを恐れるんじゃなくて、会社を潰せるものなら潰す位のつもりでとにかく恐れずやってみろ!」みたいなことを伝えたい。どんなに失敗しても会社は潰せないから。だから思いっきりバットを振って欲しい。その為にはまず自分の意志でバッターボックスに入っているかどうかです。
― これからこの会社をどうしていきたいと考えていますか?
社員A:そうですね、具体的に答えるのは難しいですが、今のエンヴィジョンがあるのは、平岡さんがこれまでに、かなりしっかりと会社の土台・基礎を築いて来られたからだと思っています。世界のどこに行ってもカムイというブランドの名前を通じて、コミュニケーションが取れたり、ビジネスが生まれたりする。これは本当にありがたい事で、仕事を行う際に沢山の恩恵を受けていると感じています。
なので僕たち次世代のスタッフは、平岡さんが築いてきたものを、もっと発展させていかなくては行けないと感じていて。エンヴィジョンのビジョンイメージとして「巨大な木」が出てくるのですが、その大きく育った木に私たちが新たな枝葉を伸ばし、実を付けていくイメージとでもいったら良いのでしょうか。
みんながそれぞれに力を付けて能力を蓄えて、世界中でバットをフルスイング出来たら良いですね。で、成功しても失敗しても、帰ってくるところはエンヴィジョン、みたいな。そこに仲間がいてお互いに切磋琢磨しあう。そんな会社にしていきたいな、と考えています。
平岡:今の時代、会社の果たす役割とそこで働く個人の責任っていうのものが何なのかが曖昧になってきているよね。沢山の人達が、組織の中でどこに線を引くかに一緒懸命になってしまって気付かずに内側を向いてしまっている。政策も含めた社会問題でもあるんだけど、全てを規則で縛って画一化していくことが果たして良いことなのかなって感じる事が多いです。
本当はお客様がいる外側を見つめなきゃいけない。
社会の中であれやっちゃいけないとか、これやっちゃいけないとかっていう制限がどんどん出来て、「それは嫌だよね、窮屈だよね」ってすごく思うんです。「自分たちはこうしたいんだ」という自由と思考力が奪われてしまう。
株式会社の仕組みというのは、自分たちの制約を解放するためのものすごく良いプラットホームだと本当に思います。上手に使うと社会に貢献して、関わる人も幸せになる。
例えば一般的には週休2日ですけど、うちの会社は週休3日でも4日でも良いかもしれない。別に法律では禁止されてない。一方でもっと働かせろという人がいれば週7日でも大丈夫です。そうなるともう一般社員ではありませんから役員になってもらうしかない。こちらも法律で禁止されてないので大丈夫。
現在エンヴィジョンの中には、週1回だけ出社するリモートワークの社員もいます。例えば、ハワイからリモートで働くっていう人が出てきてもいいかもしれない。
なので、自分がこう働きたいという希望を叶える為にどんどん提案して欲しいと思っています。
「自分がハワイで市場を作るから、会社は私をハワイに送り込まないといけない。会社にとっては今よりもメリットが大きいですよ」みたいなプレゼンを込みで。(笑)
自分が与えられた責任を果たすということは社会人として大前提にあるので、お互いに協議は必要になってくるのですが、スタッフ皆がエンヴィジョンという船に乗って「自由と責任」をうまく使いこなせる人になって欲しいと思っています。
そして社長としては、働いたスタッフが幸せになり、その向こうで関わる沢山の人たちの幸せを作るようになって欲しいです。
それは事業の面だけでなくて、例えば地域の子供が参加できる社会貢献のプログラムを作るとかでも良いと思う。みんなが互いに高めあったり、社会が良くなる事を発信して行けるようなチームになったら良いと思う。それがたまたま株式会社エンヴィジョンという集合体であれば嬉しいです。
スタッフエピソードStaff Episode
エンヴィジョンで働くスタッフに、どのような経緯で入社することになったのか、エンヴィジョンの魅力とは何か、これからの展望など個人のエピソードを伺いました。スタッフ一人一人のエピソードからエンヴィジョンの様々な一面を知ることができます。
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